生命保険の始まりと成立

始まりはイタリアから

1400年代のイタリアで生命保険契約の形態は登場します。当初は奴隷運搬の海上保険の形態として登場しました。17世紀イギリスでは、セントポール寺院の牧師たちが葬式代をまかなうために、お互いにいくらかずつ出し合って積み立てていったといわれています。ただし、これは年齢に関係なく同じ金額を払い込んでいたため、高齢者は比較的少ない保険料で保険金を受取ることになり、若い者の不興を買ってしまい、10年ほどでなくなったとされています。

キーマンは天文学者

「ハレー彗星」で有名な天文学者エドモンド・ハリーがこの問題を解決するきっかけを作りました。彼は実際に調査して人間の寿命を統計化した生命表を作成しました。それは年齢ごとに生存している人死亡した人の割合をまとめた統計データでした。こうした統計ができたこと重要で、誰がいつ亡くなるかは全くわからないが、年齢ごとの亡くなる人数はおおむねはっきりするということです。これは「大数の法則」と呼ばれるもので、生命表での場合、少ない人数だと誰がいつなくなるかは全く分からないが大勢集まると限りなく生命表の死亡率に近づくので、「そのうち何人が何歳のときになくなるかおおよそわかる」ということになります。これによって、各年齢ごとに保険料を払う者の人数と保険金を受け取る者の人数が推定できます。こうして、この統計による死亡する確率に応じて保険料に差をつけることが考えられ、18世紀、イギリスで死亡率に基づいた保険料を集める制度ができ、これが今の生命保険のルーツとなりました。ですが、この生命表に基づく計算は、戦争や地震等の大規模災害による大量死にまで対応できるものではないため、現在の生命保険の多くは、戦争・災害に関する免責事項を設けています。

近代生命保険はイギリス発祥

現在の近代生命保険の発祥は、1762年にイギリス・ロンドンに設立された英国・エクイタブル生命です。 The Equitable Life Assurance Societyは、英国の数学者、ジェームズ・ドドソンによって考えられた近代生命保険の根幹とも呼べる理論によって設立されました。当時の生命保険は、年齢制限や面接による印象など根拠の薄い理由で加入を断るなど、非常に原始的なものであったそうです。生命保険への加入を希望したドドソンは加入を断られ、それに不満を感じたドドソンはエドモンド・ハリーの生命表を活用して近代生命保険の基礎ともいえる理論を生み出し、保険会社の設立を企図します。その仕組みとは・・・死亡率に応じて保険料を徴収すると年々保険料が上がっていくことになりますが、同社は、その保険料を契約期間に応じてならす、「平準保険料」方式を採用しました。この仕組みは契約期間の前半に将来の保険料を前払いし、契約期間の後半に積み立てられた金額を保険料として取り崩すことになります。これが現在の生命保険の保険料計算の主流となっています。自ら、確率に応じた適正な保険料による生命保険の理論を生み出し、保険会社の設立を企図したドドソンfでしたが、エクイタブル生命の設立を待つことなく1757年に亡くなり、彼自身が生命保険の恩恵にあずかることはありませんでした。本来、相互扶助の仕組みであった生命保険だが、平準保険料の採用により、前払いされた保険料が生命保険会社の多額の運用資産となり、いわゆる機関投資家として金融市場に大きな影響力を持つ礎となったのです。