生命保険で還暦祝いのプレゼント!

日本では1868年に福澤諭吉がこの制度を紹介しました。1881年7月には、日本で最初の保険会社・有限明治生命保険会社が開業しました。当初は「人の生死によって金儲けをするのか」という誤解に基づく批判も多く、その普及には時間がかかったそうです。戦前までの生命保険会社の特徴としては、法人の形態が現在のような保険業法に定める相互会社ではなく、株式会社が主流でした。また、普通の生命保険会社とは別に、徴兵保険と呼ばれる保険を扱う徴兵保険会社がありました。徴兵保険とは、養老保険の一種で子供が小さいうちに加入しておくと、その子供が徴兵などのときに保険金が給付されるというものだったそうです。こうしたことからも戦前までは養老保険などの貯蓄性の高い商品がその主流でした。
戦後には、こうした生命保険会社の多くは株式会社から相互会社に衣替えし、再出発しました。この時期に女性営業職員による募集が考案され、戦争未亡人の働き口として供給が豊富だったこともあり、各社がこぞってこの方式を採用するようになりました。また、核家族化の進展を背景にして、主流の商品は貯蓄性の高い養老保険から保障の大きな定期付養老保険、さらには定期付終身保険へとシフトしていったようです。
近年の主な動きとして、ガン保険などの第三分野保険を足がかりとして、外資系保険が参入してきました。これを契機に、日本の保険会社も統廃合が進んでしまいます。一方でいわゆるバブル景気による金利の上昇と不動産の価格高騰は、「超長期固定金利」の商品を扱う生命保険会社にも多大な影響を与えました。一つにはバブル崩壊後、高い予定利率の保有契約を多数抱えてしまったこと、もう一つには、資産運用手段として不動産への投資、あるいは不動産関連の融資を行ったことで、保有資産・貸出資産が不良化してしまったことです。この結果、資産運用による収益力が落ち込むとともに、運用は延びずに予定利率との差額が発生する「逆ザヤ」により経営基盤が不安定になっていきました。バブル期には、株式投資が活発化したことから変額保険が注目されました。本来、変額保険はインフレなどにより長い期間の間に保険金が著しく目減りする定額保険の欠点を補うものとして開発された商品ですが、相続対策などの名目で生命保険会社各社は銀行と組んで営業活動を行いました。 その仕組みとは、まず、加入する変額保険契約の保険料は、契約者が銀行からの融資を受けることによって賄います。当時は株価が毎年大幅に上昇していたため、その上昇率を前提とすれば、満期時には融資を返済してもなお余りある保険金が得られる、というプランでした。相続税法上の生命保険金の評価は、現金よりも低くなり、なおかつ保険料分が債務として相続財産から控除されるため、相続対策としては有効である、と顧客に説明されていたようです。しかし、想定に反して株価は著しく下落し、それによって大幅に目減りした満期返戻金では融資の返済に不足が生じたため、多くの資産家が損害を被ることとなっってしまいました。このような株価下落時のリスクの説明が不十分だった点や、募集行為上の問題があったことなどにより、保険会社や銀行に対する訴訟が相次いでおこりました。現在の変額保険は運用方法について、ファンドを顧客が選択することにより分散する、死亡保険金の保険金額は保証されるなどの規制を行うことにより、大きくリスクは減少しています。しかし、死亡保険金額を保証することとしたために、海外の類似の商品にくらべ、保険会社が破綻した場合の信用リスクがやや高くなってしまいました。また、バブルと前後する時期に、金融の自由化の一環として銀行・保険・証券や損害保険と生命保険など業界のファイヤーウォールを取り払い、相互に参入を自由化しようという政策が進展しました。保険業界も、生保は損保子会社を作ることにより損保業界への参入が認められ、損保は生保子会社を作って生保業界に参入することが認められ、他業種の保険業界参入も進んだようです。